8つのドアの備忘録

日々の気づき備忘録です。生きにくさを感じているあなたに役立てば幸いです。

薪ストーブの話

以前、家の石油ストーブが壊れて買い替えが必要になったときのことです。

 

今まで石油ストーブだったが、10年~20年で壊れてしまう。

次も同じ石油ストーブも味気ない。

そいえば、子供の頃、よく焚火したものです。

その炎を見ていると癒されるなぁ、と想像が駆け巡ります。

 

そして、薪ストーブのことを調べてみました。

薪ストーブには薪が必要です。

調べてみると薪代が灯油代よりも高いんだそうです。

タイマーも使えないし、朝の当番は自分かな。

やはり無理かなぁ。

 

Youtubeで見つけた動画曰く。

『薪ストーブは4回暖かくなる』

最初は、山から木を切ってくるときに汗をかく。

次は、薪を作るときに汗をかく。

次は、薪に火を点けて暖かくなる。

最後は、薪ストーブの家族が集まって心が暖まる。

いい話だなぁ。

 

山を所有してなくちゃいけないし、

木を切る道具や技術、運ぶ車も必要。

薪を作る場所や時間が必要。

毎日、薪を家に運んだり、掃除をしたり。

タイマーが無いので早起きも必要。

 

ちょっと自分には無理かなぁ。

そう思った時に気づいた。

 

でも、そんな生活が出来ている人がいる。

時間の余裕があるというか、

生活様式自体が違う。

自分の場合、給料が安いと文句をいい。

その給料で生活をやりくりするのに頭を悩ませ、

少しでも安いものをと時間と神経を使う。

 

『一体、俺は何をしてるんだ?』

 

寒かったら薪をくべればいい。

その薪を自然の恵みと自分の力を合わせて作る。

腹が減ったら、作った野菜や捕ってきた魚を食べればいい。

もっと生きるために直接的に時間を使えたらいいなぁ。

楽しいかもしれない。

昔は、そうだった。

 

今まで、

お金で時間と労力を買うという発想が強かった。

そして必要なお金を得るために必死に働く。

そして、お金を使うにも神経をすり減らす。

 

現代は、何かとお金がかかる時代になってしまった。

衣食住、教育費、娯楽費など、お金がかかりすぎる。

何かがおかしい。

 

全部は無理にしても、

光熱費や住宅、食料など

一部でも自分で調達できればいいのだが・・・

なかなか

 

60歳間近くで工場勤務の私は体力的にもきつくなってきた。

老後をどう過ごすか、ときどき考えるようになってきました。

さぁ、どうしようかな。

続きはのちほど。

 

 

何をする為に生まれてきたのか?

もし、神様がいて、

ある日の朝、

『あなたは、XXXになりなさい。』

そう言われたら、それに向けて邁進すればいい。

もう迷わなくていい。

そう思ったことはないだろうか。

実際には、そんなお告げが聞こえることはない。

なぜなら、XXX以外になる自由が奪われるから。

 

『自分は、何をする為に生まれてきたのか?』

考えても判らなかったが、書籍『神との対話』を読んで少し判ったような気がする。

決して宗教関係の本ではないので一度は読んでみてもいいだろう。

 

答えは、

『体験するため』

いろんな事を実際に体験することで、そこで発生した感情を通して、

本当は、こうなんだ。と理解すること。

この世は、こんなところだ。と理解すること。

例えば、

戦争を体験した人でなければ、戦争が引き起こす不幸がどんなものか解らない。

同じ戦争を経験してもAさんとBさんでは違う。

話を聞いたり資料を見たりしても体験は難しいんだ。

あなたは、あなたにしかできない体験をすればいいんじゃないか。

 

問題は、この体験には良いことも悪いことも全て含まれるということ。

何歳になっても生きていれば良いことも悪いことも起こる。

実際には、良いことの中に悪いことがあったり、その逆もある。

そもそも良い悪いの判断は主観的なもので簡単に善悪を判定できるものは少ない。

あの失敗があったから今の成功がある。といった事例は多い。

 

自分が体験したことを生かすことが出来ないかな。

つらい体験をした人は、同じようなつらい目にあっている人の気持ちが理解できよう。

その人を救うことが出来るかもしれない。

救うことで新たな体験が生まれる。

 

もし、神様がいて、

ある日の朝、

『あなたは、弁護士になりなさい。』

と言われても、

60歳間近の私は困ってしまう。

『もう少し優しいヤツないですか?』

神様は、どう思うだろうか?

 

私は『価値』のある人間か?

私は、いわゆる負け組である。

結婚後、勢い余って独立し、そして失敗。

この歳(58歳)で、職を転々とし、妻や子供に苦労を掛けています。

 

『私は価値の無い人間だ!!』

そういった声が聞こえてくることがある。

 

あなたは、

何かにチャレンジして失敗し、

そんな気持ちになっているかもしれない。

 

私は、こう考えた。

 

浜辺の砂を手ですくって、

その一粒の砂だとね。

一粒の砂が消えても誰も気づかない。

でもね。

浜辺を作っている一粒なんだ。

隣の砂粒と、どっちが偉い?

隣の砂粒と、どっちが綺麗だ?

隣の砂粒と、どっちが大きい?

大した問題じゃない。

私は、ただの一粒の砂。

 

手のひらから飛び立とう。

砂を持っている自分が見えるか。

もっと高く。

浜辺の形は見えるか。

もっと高く。

山が見えるか。

もっと高く。

日本地図が見えるか。

宇宙へ抜けてしまえ。

 

宇宙を見ているのは誰だ。

一粒の砂も自分、

宇宙を見ているのも自分。

 

自分に起こっていること、見えていること。

全て自分から見ている。

自分は常に中心で主体なのだ。

 

価値があるとか無いとか、

それは自分が決めていること。

自分の価値があると思ってもいい、

自分の価値が無いと思ってもいい、

 

私は、どうでもよくなった。

 

 

 

 

 

はじめまして

はじめまして、

私は、60歳目前の普通のおじさんです。

日々の生活の中で、メッセージというか気づきを得てきました。

この気づきを公開する理由は二つあります。

一つは、この気づきを、より咀嚼し、これからの自分の役に立てること。

もうひとつは、この気づきによって生きる事が楽になる方がいるかもしれない。

そう思ったからです。

もし、この『気づき』が、あなたの役に立てたなら幸いです。